使い道がほとんどない、あるいはまともに機能しないカードの俗称。
「カードではないただの紙」という蔑称である。
基本的に「明らかな上位互換が存在するような性能が低いカード」を指す。
使い道に乏しくデッキ構築の段階から採用しづらいカードである。
同じ意味で「ゴミカード」や「産廃」という俗称もあるが、より悪意のある蔑称である。
その様なカードが採用されていたからといって、もちろん相手に対して発して良い言葉ではない。
もしくはプレイ中に、召喚条件や発動条件を満たせていなかったり、カードの効果により召喚や発動を封じられている、いわゆる「死に札」となっている状態のカードのことも指す。
こうした場合は「紙」とは言わず、「腐る」と言うことが多い。
(有用なカードではあるが、デュエル中の状況により一時的に使えないカードとなっている)
「紙」の例には以下のようなものが挙げられる。
カードをあまり持たない初心者のプレイヤーが、デッキ枚数の下限である40枚を埋めるために仕方なく上記のようなカードを採用することはよくある光景である。
その場合、まずはストラクチャーデッキ等で汎用性の高いカードを揃えていきたい。
全くの初心者が構築したデッキにありがちだが、コンセプトが明確に定まらず、まともに回らないデッキを「紙束」と表現することがある。
シナジーを全く考えずにカードを選んだデッキなど、デッキと呼ぶにはあまりにお粗末な場合に使用される。
- 原作・アニメにおいて―
弱いカード(あるいはそう見えるカード)を「クズ」「ゴミ」等と批判するキャラはシリーズを通して多く登場している。
そしてその殆どは主人公などの味方サイドによって痛い目を見るというのは一種のお約束となっている。
- 作画を埋める目的で描かれ使用されていないカードはシナジーや実用度を完全に無視した「紙」であることが多い。
例を挙げると、アニメ5D'sのライディングデュエルは通常の魔法カードが使えないのに《光の護封剣》などが登場している。
- ストーリーの都合上、「紙」をデッキに投入せざるを得ないケースも存在する。
寄せ集めのカードで40枚を調達したアニメGXの万丈目、「十代vsエド」(1戦目)のエドや、アニメ5D'sの「遊星vs鷹栖」戦の遊星が該当する。
- アニメARC-Vの沢渡は事前にわざわざ「クズカード」と称した弱いカードを集めて遊矢に投げつけるという手の込んだ嫌がらせをしている。
しかしその中にあった《ブロック・スパイダー》を直後のデュエルで使用され、手痛いしっぺ返しを食らっている。
- アニメVRAINSの遊作はPlaymakerとしての正体を隠すため普段はダミーデッキを持ち歩いているのだが、その内容や構成を見た島は「お粗末なデッキだ」と思わず嘲笑しており、(アニメVRAINSの世界観基準で見ても)実用性の低いカードで組まれていた。
この時デュエル部の部長は島の発言を即座に叱責しており、あちらの一般決闘者の間でもこうした発言は間違いなく暴言と取られる言葉である様だ。
- なお、遊作本人は上記の発言に対し「いいさ、本当のことだ」と返しているので、どうやら意図的に弱いカードを集めてダミーデッキを構築したようだ。
実戦で使わないとは言えども、遊戯王シリーズの主人公がこの様な「弱いカード」という評価を肯定するシーンは珍しい。
- アニメシリーズでは各作品での格差社会の描写(認識や偏見等)についてカード資産の差に基づいて表現している場合が多く、アニメGXのオシリスレッド、アニメ5D'sのサテライト、アニメARC-Vのコモンズなど、「格差社会の下の階級に属する集団が持つカードは弱いカードばかり」だと偏見や認識を持たれる描写も存在する。
無論、彼らの多くはそのような認識を嫌っており、アニメ5D'sでは執拗にクズ(もしくはそれに近い暴言)を連発した牛尾に対し普段は寡黙な遊星ですら「他の言葉を知らないのか」と嫌味を含みつつ返したこともある。
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